その度にそれらの事を深く考えていると怒りに変わってしまいますので、私はそれらの事を、魂の力を試す材料だと考えているようにしています。
えっ


また、「目の前に現れた人は自分の魂の成長のために出てきてくれたのだ」たとえその時は嫌な人だと感じたとしても、「その人が何かを教えに来てくれたのだ」 と思えれば "感謝の念" だって抱けるようになるかも知れません。
「われ以外みなわが師なり」と考えると嫌な人も、嫌な出来事もすべてに意味があり、人生の肥やしになるかもしれません!
私たちの守護霊は、あなたのその苦難をも含めてあたたかく見守っています。あなたが苦難を乗り越えた未来を、見越しているようです。どんなに理不尽に思えることでも克服した先には、たましいの成長が持っています。
たとえさげすまれても耐え忍ぶことを、忍辱(にんにく)と言うそうです。
食べるニンニクも臭いですが、身体の滋養となり、免疫力の向上をはかり、外からのウイルスへの抵抗力となり身体を外敵から守ってくれます。
![image[1].jpg](https://kuniyasu-shinkyuu.up.seesaa.net/image/image5B15D-016e6.jpg)
忍辱(にんにく)も食するニンニクも心と身体の為になるものなのですね

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