合気道の稽古では、毎回課題があります。
最近の自分の課題は、呼吸法という技です。
この技を簡単に言いますと、立位と座位での稽古がありますが、まずは座った状態で相手に両手首を掴まれ、そこから相手を崩して技を掛けるという入口の技です。
相手に気配が分かると両手を押さえられ、止められてしまい技を掛けることが出来ません。
この技は、はいじめに書きましたように呼吸力で、力、スピードなどを全く必要としない技です。
逆に相手との皮膚の接触や動きで、相手に情報が入り、止められてしまします。
先生に技を掛けられると、いとも簡単にほとんど力を入れないで何度も掛かってしまします。
毎週、この呼吸法を練習していますが、なかなか掛かりません。
よく最近、先生は「合気」の話をされます。
素人目で「合気」を想像すると、目に見えないエネルギーがあり、そのエネルギーで相手を投げたり、吹き飛ばしたりという感覚が自分も含め、想像できることでしょう。
一般の人では、「そんなの気あるの?」「特殊な力?」などと疑問に思うかもしれません。
しかし、「気」という目に見えないエネルギーは存在します。
そして、「合気」は自分が修練することによって、自分で感じ、合気を感じることができるものです。
合気は相手と繋がりを感じて、自分が有利になるように相手との繋がりをうまく使い、相手を崩し、そして相手の制御を奪ってしまう事を行います。
相手の自由を奪い制御できなくして、掛け手がされるがままの状態にすることができるのが「合気」のかかった状態と言えると思います。
もっと簡単な話で言いますと相手と対面して、立った状態で、お互いの両手の手のひらを付け合い少し力を加えます。その立って手のひらがくっついて均衡を保って繋がっている状態が合気です。
その状態から、掛けてが、相手に気づかれないように力を緩めると相手はバランスを崩して前に倒れそうになります。そして、逆に相手に分からないように少し力を加えると、またこれも相手は後ろにバランスを崩して倒れそうになってしまいます。
この話で大切なことは、「相手に分からないように」ということです。
腕を持たれているにも関わらず、その接触感が相手の脳がだまして、感覚を感じさせないところに技が存在します。
これは人間が持っている本能や感覚を踏まえての大脳生理学にも繋がるということだと思います。
考えてみると、昔の人はそんな感覚を修練の上で自分のものとして体得したということは命を掛けて身を守るという気持ちで、よっぽど修練をつんだ方しかできない技、いや術なのかもしれませんね。
そう考えると、全ての武道は長い時間を掛けて伝承されてきた素晴らしい”武の道”だと思います。
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新中野の國安鍼灸整骨院
2020年09月10日
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