知り合いの鍼灸師の先生が立派な鍼灸の本を出版しました。
この著者の先生は、30年数年ぐらい前になりますか?
自分が新宿のある鍼灸院に勤めていた頃、アルバイトで鍼灸院に来ていた先生で、当時、鍼灸教員養成科という鍼の先生になるための施設に通われていた先生で、とても勤勉でユーモアのある先生でした。
その後の行方は知りませんでしたが、今回FBを通じて、治療院や書籍の出版を知りました。
書籍も興味が沸いたので、すぐに注文をしました。
「あれから34年?お互いに色々あったんだな〜!その先生は現在、吉祥寺で鍼灸院を開業されていて、スタッフも数人いて分院までもあるそうです。」
「お会いしていない間に頑張ったんだな!」と尊敬する次第です。
その先生との思い出で一番記憶に残っていることは、ある忘年会の二次会でどこかのいわゆる今で言う”クラブ”で、ウケを狙いその方がトイレットペーパーを体全身に巻きつけフランケンシュタインの様相でトイレから登場しました。
すると周りのお客さんは不気味に思い、ヤジを飛ばしました。
その時、そのフランケンシュタインが天井にあった照明をつっている鉄枠にジャンプした時に電気がショートして、スプリンクラーが始動し始めてそのフロワーがびしょ濡れになったことがありました。
その30年ぐらいのその話を今回、FB上で出版お祝いと一緒にコメントすると、「時効ですよ!」という返事が帰ってきました。
「やっぱり、その事件を覚えていたんだ!」と苦笑いしました。クスクス・・・・
朝の慌ただしい時間にブログの投稿をしておりますので、誤字脱字が多いと思います。
恐縮ですが、お気づきの方は訂正のご連絡を頂けると幸いでございますm(_ _)m
また、投稿写真・投稿内容等について、不都合や問題がありましたらご連絡ください。
直ちに削除致します。
新中野の國安鍼灸整骨院
2020年11月27日
2020年06月19日
入梅の思い出
今朝は朝から大雨

暑いと思ったら、肌寒い日もあり、この季節は体調を壊しやすくなる季節でもあります。
また、今年は自粛が続き、運動不足の方が多く、体力や免疫力が低下している方が多いと思いますので、どうぞご自愛下さい。
毎年、この季節になると思い出す幼少の頃の思い出があります。
故郷の岡山の実家に古い納屋があった頃で、納屋と言っても屋根と周りを囲っている木造の木の壁があり、中には古いタンスや布団、家財用具が置かれていました。
この入梅時期になると、外で遊ぶことができないので、その埃っぽい納屋に入り、外に咲いている沢山の紫陽花をみながら、その葉の上にはかたつむりが数匹ゆっくり動いているのを観察したり、ナメクジを見つけると、本で読んだことで、塩をかけるとナメクジがどのように縮んでくるのかな?と実験してみたりして遊んでいたことを思い出します

外に出て遊ぶことはできないけれども、その納屋の中の古いタンスを開けて、中を物色すると、昔ながらの壊れた時計やラジオを分解しながら、時間が過ぎるのも忘れ、暗くなり見えなくなるぐらいに夕方だと気づき、空を見ると雷がイナズマを走らせながら雲を切っている光の筋をみながら、雷の数を数えていた事を思い出します。
毎年このような思い出が蘇るので、この時期も嫌いではありません。
しかし、今では朝のチャリ通勤や治療院の洗濯もの乾き、来院される患者の足元などを考えると少し嫌な気持ちもしますが、自粛続きで外室できない、やることがないことを考えると有難い恵みの雨かもしれませんね。
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2019年12月17日
105歳
先週、久しぶりに来られた患者さんがいます。その方は剣道の防具屋さんで長い付き合いがありました。
来院されたのも数年ぶりだったので色々と話をして、懐かしむ話もしました。
その防具屋さんのお母さんも数十年前に、腰を傷められ鍼治療に来られたこともあったので「そういえば、お母さんは如何ですか?」とお聞きすると、「施設にいますが、105歳を迎えました。」という話を伺いました。
周りの方が100歳を超えたという話を聞いたのは、もしかしてはじめてかもしれません。
びっくりしたと同時に、数十年前に治療に来られていた頃を思い出しました。
それにしても100歳を超えて、105歳!その凄さを感じるばかりです。
昨日、その患者さんが来られ、また、世間話をしながら「今日もお母さんに会いに行かれるのですか?」という話をしていたら「もう会いにいかなくてよくなったんだよ!」と言われたので・・・・?
「実は昨日、逝ってしまいました」ということを聞かされました。
2日前に105歳ということをお聞きしたばかりだったのに、と、残念に思いましたが、息子さんが「私が誰だかわからないし、ここまで生きればいいですよ!」言っておられました。
昨晩、帰宅して洗濯物の剣道の袴を干していたのをみて、「そういえばこの袴、105歳で亡くなられた”叔母あちゃま”が、腰が治ったお礼にと頂いた袴だな!」と思いながら、裾がほつれかかった年期が入った袴をみながらお顔を思い出しながら少しの間思い出を思い起こしていました。(合掌)
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2019年10月19日
父の思い出話
昨晩、久しぶりに母と話しました。
父が他界して、早いもので21年が過ぎました。
当時の苦労話や思い出話を母がしていました。
もとはと言うと、TVでオリンピック競技のスラロームカヌー競技場が人工で建設されたというニュースからでした。
生前、父は当時マイナーだったカヌー競技を推進していました。
故郷の岡山には一級河川が3本あり、環境に恵まれていて、川下りを競技とするカヌーには適した県でした。
特に鍾乳洞で有名な高梁川の井倉洞の近くによく岡山県カヌー協会のイベントに参加してカヌーをしにいったものです。
このあたりの川は降水量が多い時には流れも激流になり、その川をカヌーで下っていくのは容易なものではありませんでした。
当時、中学、高校生だった自分には沢山の父との思い出があります。
そんな話をおもいだしながら、母と自分というよりは、子供たちに”お空のじいじい”(父)の話をしていました。
その思い出話の中で、母が言っていたことですが、「お父さんはマメに日記を付けていたようだけれど、未だにそれを見ることができないのよ!」と、ぽつんと言っていた事が気になりました。
実は自分も複雑な心境で、なんとなくその日記を見るのが怖い気もしますが、せっかく父が書き残した当時の心境なので、心に余裕が出来た時にざっと目を通して見たい気もしています。
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父が他界して、早いもので21年が過ぎました。
当時の苦労話や思い出話を母がしていました。
もとはと言うと、TVでオリンピック競技のスラロームカヌー競技場が人工で建設されたというニュースからでした。
生前、父は当時マイナーだったカヌー競技を推進していました。
故郷の岡山には一級河川が3本あり、環境に恵まれていて、川下りを競技とするカヌーには適した県でした。
特に鍾乳洞で有名な高梁川の井倉洞の近くによく岡山県カヌー協会のイベントに参加してカヌーをしにいったものです。
このあたりの川は降水量が多い時には流れも激流になり、その川をカヌーで下っていくのは容易なものではありませんでした。
当時、中学、高校生だった自分には沢山の父との思い出があります。
そんな話をおもいだしながら、母と自分というよりは、子供たちに”お空のじいじい”(父)の話をしていました。
その思い出話の中で、母が言っていたことですが、「お父さんはマメに日記を付けていたようだけれど、未だにそれを見ることができないのよ!」と、ぽつんと言っていた事が気になりました。
実は自分も複雑な心境で、なんとなくその日記を見るのが怖い気もしますが、せっかく父が書き残した当時の心境なので、心に余裕が出来た時にざっと目を通して見たい気もしています。
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2019年02月08日
思い出の車
今から30年前、若い頃に無理をして購入した車がありました。
その頃に柔道整復師になるために入学を決意して、受験勉強をしていました。
当時は専門学校でも現在とは違い、柔道整復師の学校が少なかったので、倍率も専門学校と言えど6〜7倍と入学するのが困難な時代でした。
「受験で合格することはできないかも?」と思いながら勉強していました。
当時は年齢にして26歳で個人医院に勤務して、鍼灸師として働いていいました。
何とか柔道整復師の専門学校に合格して、取り急ぎ入学金が必要だったので、急遽所有していた車とオートバイを処分して、入学金に当てようと思い泣き泣き車とバイクを売却しました。
しかし、売却してしまえば気持ちも吹っ切れました
接骨院を開業するための専門学校に入学すると、朝から鍼灸師として個人医院で働き、夜は夜間の学校に通い、日曜日も仕事でしたので遊びに行く時間も金銭的な余裕もなかった3年間でした。
しかし、そのような生活でも学校にも楽しい仲間が多くいたので、苦痛ではなかったです
その頃、処分した車が未だに夢に出てくることがよくあります。
夢ではその懐かしい車が保管されていて、久しぶりにドライブをしてハンドルの感触やエンジンの吹き上がり、コーナーリングでサスペションの感覚を楽しんだりしている夢です。
その車の夢をよく見始めたのは、治療院の近くにその古い車がタイヤもパンクして放置されているのを見ることが多く、懐かしさと寂しさを感じることが多くあったのだと思います。
夢によく出てくるということは30数年前に処分した悔しさも未だにあったのでしょうね!
今でもその車があれば乗ってみたいと思っています。
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その頃に柔道整復師になるために入学を決意して、受験勉強をしていました。
当時は専門学校でも現在とは違い、柔道整復師の学校が少なかったので、倍率も専門学校と言えど6〜7倍と入学するのが困難な時代でした。
「受験で合格することはできないかも?」と思いながら勉強していました。
当時は年齢にして26歳で個人医院に勤務して、鍼灸師として働いていいました。
何とか柔道整復師の専門学校に合格して、取り急ぎ入学金が必要だったので、急遽所有していた車とオートバイを処分して、入学金に当てようと思い泣き泣き車とバイクを売却しました。
しかし、売却してしまえば気持ちも吹っ切れました

接骨院を開業するための専門学校に入学すると、朝から鍼灸師として個人医院で働き、夜は夜間の学校に通い、日曜日も仕事でしたので遊びに行く時間も金銭的な余裕もなかった3年間でした。
しかし、そのような生活でも学校にも楽しい仲間が多くいたので、苦痛ではなかったです

その頃、処分した車が未だに夢に出てくることがよくあります。
夢ではその懐かしい車が保管されていて、久しぶりにドライブをしてハンドルの感触やエンジンの吹き上がり、コーナーリングでサスペションの感覚を楽しんだりしている夢です。
その車の夢をよく見始めたのは、治療院の近くにその古い車がタイヤもパンクして放置されているのを見ることが多く、懐かしさと寂しさを感じることが多くあったのだと思います。
夢によく出てくるということは30数年前に処分した悔しさも未だにあったのでしょうね!
今でもその車があれば乗ってみたいと思っています。
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2019年01月28日
偲ぶ会
昨日、埼玉の川越で埼玉県鍼灸師会の後で、「偲ぶ会」が行われました。
昨年、57歳という若さで天国に召された鍼灸師の先生の会でした。
この先生は、明治鍼灸大学の2つ先輩の同窓生でした。
お亡くなりになる前までは埼玉医大第二内科東洋医学科、非常勤講師などを勤め、学会位活動の研究、教育、臨床などを行い業界への功績も多くあり、医療者としても人間としても素晴らしい方でした。
私も大学に在籍中も卒業してから上京してからも公私ともに大変お世話になった方でした。 特に鍼灸の話をされる時に厳しくわかりやすいお話をよくしてくれました。
若い頃、時々吉祥寺に呼び出され、よくお酒を飲みに連れて行って貰った思い出もあり、地方の学会でお会いすると「今晩はここで飲んでいるから顔をだしな!」と優しく誘ってくれたり、することも何度もありました。
そのような人柄でしたので、昨日の偲ぶかにも故人に関わっていた医師、鍼灸師、教育機関の教授など150名が出席しました。
故人の功績を紹介するスピーチでは、同窓生の後輩がお話をしていましたが、途中で涙が止まらなくなり話ができなくなりって、代行して原稿を読んでもらっていました。
その様な姿を見ていると走馬灯のように自分の中でも思い出が回り始め、胸が熱くなり、涙が止まらなくなってきました。
実はお通夜とお葬式のときの昨年の夏にはこの事実が受け入れられなく、そして悔しさと残念さが複雑に絡み合い、出席することができなかったですが、今回は気持ちの整理がついたのでしっかり受け入れ、故人の思い出を蘇らせ、ご家族にも然りとご挨拶をすることができました。
PCのスライドショーのピクチャーにも研究会の臨床、教育、集合写真などのが映し出されます。
これからも、私の中にこの偉大な先輩であり、偉大な先生はずっと生き続けていると思います。ゆっくりとお休み下さい。(合掌)
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明治国際医療大学
昨年、57歳という若さで天国に召された鍼灸師の先生の会でした。
この先生は、明治鍼灸大学の2つ先輩の同窓生でした。
お亡くなりになる前までは埼玉医大第二内科東洋医学科、非常勤講師などを勤め、学会位活動の研究、教育、臨床などを行い業界への功績も多くあり、医療者としても人間としても素晴らしい方でした。
私も大学に在籍中も卒業してから上京してからも公私ともに大変お世話になった方でした。 特に鍼灸の話をされる時に厳しくわかりやすいお話をよくしてくれました。
若い頃、時々吉祥寺に呼び出され、よくお酒を飲みに連れて行って貰った思い出もあり、地方の学会でお会いすると「今晩はここで飲んでいるから顔をだしな!」と優しく誘ってくれたり、することも何度もありました。
そのような人柄でしたので、昨日の偲ぶかにも故人に関わっていた医師、鍼灸師、教育機関の教授など150名が出席しました。
故人の功績を紹介するスピーチでは、同窓生の後輩がお話をしていましたが、途中で涙が止まらなくなり話ができなくなりって、代行して原稿を読んでもらっていました。
その様な姿を見ていると走馬灯のように自分の中でも思い出が回り始め、胸が熱くなり、涙が止まらなくなってきました。
実はお通夜とお葬式のときの昨年の夏にはこの事実が受け入れられなく、そして悔しさと残念さが複雑に絡み合い、出席することができなかったですが、今回は気持ちの整理がついたのでしっかり受け入れ、故人の思い出を蘇らせ、ご家族にも然りとご挨拶をすることができました。
PCのスライドショーのピクチャーにも研究会の臨床、教育、集合写真などのが映し出されます。
これからも、私の中にこの偉大な先輩であり、偉大な先生はずっと生き続けていると思います。ゆっくりとお休み下さい。(合掌)
朝の慌ただしい時間にブログの投稿をしておりますので、誤字脱字が多いと思います。
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明治国際医療大学
2018年10月04日
次女の研修旅行
次女の勇妃が中学校の研修旅行で岩手に行ってきたようです。
岩手では新渡戸稲造先生の記念館を見学したり、東日本の震災の様子を見て来たりしたという話をしていました。
み土産も家族に気を遣って、それぞれに買ってきたくれました。
今回の研修旅行で多くのことを彼女なりに学んできたようです。
お土産話で勇妃が楽しそうに話していたことは、”わんこそば”を食べたことだったようです。
旅行前に「パパ、わんこそば食べたことがある?」と聞かれたので、私は「実は食べたことはないんだよ!」と答えると、「私は100杯を目指すよ!」と意気込んでいました。
勇妃が「100杯食べたら賞金5000円くれる、パパ!」といきなり言われたので「分かった!でももし食べられなかったらペナルティーで罰金だな!」と言うと、「フニャフニャ」と返答なし。
昨晩、「わんこそばどうだった!」と勇妃に聞くと、証明書を持ってきました。
それでも71杯を食べたそうです。
大人の平均が50杯ぐらいだそうです。
そして、わんこそばを入れるかたの掛け声をしながら楽しそうにその時の様子や旅の思い出を話していました。
やっぱりまだまだ子供ですね!
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岩手では新渡戸稲造先生の記念館を見学したり、東日本の震災の様子を見て来たりしたという話をしていました。
み土産も家族に気を遣って、それぞれに買ってきたくれました。
今回の研修旅行で多くのことを彼女なりに学んできたようです。
お土産話で勇妃が楽しそうに話していたことは、”わんこそば”を食べたことだったようです。
旅行前に「パパ、わんこそば食べたことがある?」と聞かれたので、私は「実は食べたことはないんだよ!」と答えると、「私は100杯を目指すよ!」と意気込んでいました。
勇妃が「100杯食べたら賞金5000円くれる、パパ!」といきなり言われたので「分かった!でももし食べられなかったらペナルティーで罰金だな!」と言うと、「フニャフニャ」と返答なし。
昨晩、「わんこそばどうだった!」と勇妃に聞くと、証明書を持ってきました。
それでも71杯を食べたそうです。
大人の平均が50杯ぐらいだそうです。
そして、わんこそばを入れるかたの掛け声をしながら楽しそうにその時の様子や旅の思い出を話していました。
やっぱりまだまだ子供ですね!
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2018年08月18日
びっくりした懐かしい話
ここ3ヶ月ぐらい治療にこられている女性の患者Kさんがいらっしゃいます。
腰痛で、色々な病院に行ってもよくならないので、どなたかにご紹介され来院されたと聞いていました。
腰の原因は脊柱管狭窄症とヘルニアでした。
鍼灸治療を開始した当初は、治療中に姿勢で調子が悪くなり、途中で治療をやめるぐらいの痛みでした。しかし、鍼灸治療を続けているとどんどん痛みが楽になってきて、ご本人も大変喜ばれています。
そして、先日、そのKさんが「Nさんって女性、ご存知ですか?」と聞かれ、その名前を聞いたのは8年ぶりぐらいだったので、私は「はい、よく存じています!大変お世話になった方です」と返事をしました。
するとその患者Kさんが「実は先生には30数年前に3度くらいお会いしたことがあります。」と言われ???
実はお世話になったNさんが新宿のいわゆる会員制クラブでお勤めをしていることに私もお付き合いで、数度訪ねたことがありました。
当時20代半ばで、そんな高級なクラブでお酒を飲める身分ではありませし、まわりを見渡すとグランドピアノを奏でられ、お金持ちそうな社長さん連中が多く、自分だけ浮いていた感じでした。
話は戻りますが、来院されている女性はそのNさんにお世話になってとうことでした。
しかし、Nさんは8年前に他界してしまっていたので、思い出話を数分しました。
思い出話の中で、Kさんが「そういえばNさんにはお二人のお子さんがいらっしゃいましたね!どうしてらっしゃるのかしら?」と聞かれたので、私は「Nさんが亡くなる前に二人を宜しくお願いしますと言われているので、未だに連絡をとって様子を伺っていますよ!」と言うと、Kさんは笑みを浮かべていました。
30数年前の記憶をたどって見ると、何となく新宿のクラブでの記憶が蘇、Kさんの記憶も何となく覚えているような気がしてきました。
いつの日かKさんと他界したNさんとの思い出話をしてみたいと思いました
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腰痛で、色々な病院に行ってもよくならないので、どなたかにご紹介され来院されたと聞いていました。
腰の原因は脊柱管狭窄症とヘルニアでした。
鍼灸治療を開始した当初は、治療中に姿勢で調子が悪くなり、途中で治療をやめるぐらいの痛みでした。しかし、鍼灸治療を続けているとどんどん痛みが楽になってきて、ご本人も大変喜ばれています。
そして、先日、そのKさんが「Nさんって女性、ご存知ですか?」と聞かれ、その名前を聞いたのは8年ぶりぐらいだったので、私は「はい、よく存じています!大変お世話になった方です」と返事をしました。
するとその患者Kさんが「実は先生には30数年前に3度くらいお会いしたことがあります。」と言われ???
実はお世話になったNさんが新宿のいわゆる会員制クラブでお勤めをしていることに私もお付き合いで、数度訪ねたことがありました。
当時20代半ばで、そんな高級なクラブでお酒を飲める身分ではありませし、まわりを見渡すとグランドピアノを奏でられ、お金持ちそうな社長さん連中が多く、自分だけ浮いていた感じでした。
話は戻りますが、来院されている女性はそのNさんにお世話になってとうことでした。
しかし、Nさんは8年前に他界してしまっていたので、思い出話を数分しました。
思い出話の中で、Kさんが「そういえばNさんにはお二人のお子さんがいらっしゃいましたね!どうしてらっしゃるのかしら?」と聞かれたので、私は「Nさんが亡くなる前に二人を宜しくお願いしますと言われているので、未だに連絡をとって様子を伺っていますよ!」と言うと、Kさんは笑みを浮かべていました。
30数年前の記憶をたどって見ると、何となく新宿のクラブでの記憶が蘇、Kさんの記憶も何となく覚えているような気がしてきました。
いつの日かKさんと他界したNさんとの思い出話をしてみたいと思いました

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2018年01月16日
教育?思い出?
昨晩、久しぶりに双子を叱りました
子供にありがちなことで、いつまでたっても、遊びをやめない、歯を磨かない、布団に入らない。
昨晩、母親の何度もいっていることを聞かないので、私が「寝なさい!」と言うと、寝る準備をしたものの二人で”あやとり”を始めました。
私は時間を見ながら、10時を過ぎたのを確認して、「そのまま“あやとり”を続けてやりなさい!」と言うと、「やばい」と思ったせいか、寝る準備をしながらグズグズしていたので、そのまま優しい声で「“あやとり”をしなさい!」と、言うと、泣きながら「ごめんなさい!早く寝ます!」と、二人で泣きじゃくって謝ってきました。
しかし、そこは頑固親父!
「いいからやり続けなさい!」と、一時間ぐらいやらせておきました。
二人共泣きながら”あやとり”とやっていましたが、再三、謝りに来たので、「もう寝なさい!」と、言ったのが12時ぐらいでした。
考えてみると両親が二人共仕事をしているので夕食が遅くなり、子供たちには申し訳ないと思っていますが、そこは仕方がありません。
私も小学生の頃、父に怒られ、夜中に裏山の墓地に置き去りにされたり、真冬に庭の氷が張っている池に放り込まれたりした苦い思い出が沢山あります。
しかし、そのことは今でも忘れませんし、怒られた原因もしっかりと覚えています。
時々、子供たちが大人になってもしっかり覚えているぐらいの怒られた思い出が沢山あってもいいかと思う今日このごろです。
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子供にありがちなことで、いつまでたっても、遊びをやめない、歯を磨かない、布団に入らない。
昨晩、母親の何度もいっていることを聞かないので、私が「寝なさい!」と言うと、寝る準備をしたものの二人で”あやとり”を始めました。
私は時間を見ながら、10時を過ぎたのを確認して、「そのまま“あやとり”を続けてやりなさい!」と言うと、「やばい」と思ったせいか、寝る準備をしながらグズグズしていたので、そのまま優しい声で「“あやとり”をしなさい!」と、言うと、泣きながら「ごめんなさい!早く寝ます!」と、二人で泣きじゃくって謝ってきました。
しかし、そこは頑固親父!
「いいからやり続けなさい!」と、一時間ぐらいやらせておきました。
二人共泣きながら”あやとり”とやっていましたが、再三、謝りに来たので、「もう寝なさい!」と、言ったのが12時ぐらいでした。
考えてみると両親が二人共仕事をしているので夕食が遅くなり、子供たちには申し訳ないと思っていますが、そこは仕方がありません。
私も小学生の頃、父に怒られ、夜中に裏山の墓地に置き去りにされたり、真冬に庭の氷が張っている池に放り込まれたりした苦い思い出が沢山あります。
しかし、そのことは今でも忘れませんし、怒られた原因もしっかりと覚えています。
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2016年04月07日
新しいランドセル
昨日は桜が咲く中お天気に恵まれ
我が家の双子達もめでたく小学校の入学式を済ませてきたようです
岡山から上京している母も入学式に参加して感動したようです。
昨晩は双子が寝た後に家族みんなで二人分の学用品や持ち物に名前付けをにぎやかにしていました。
私はというと昨日の入学式の様子をビデオカメラで見てみようと思いながら寝てしまいました。
今朝起きると館山の爺さんと婆さんとに買ってもらった真新しいランドセルに防犯ブザーが取り付けられ、帽子、手提げ袋とすべて新しい物が並んでいました。
それらを見ると勇妃の入学式、その前の姫気の入学式の思い出が蘇ってきました。
それから遥か遡り、専門学校、大学、高校、中学、小学校と自分の入学式の思い出も少しずつ思い出し頭に浮かんできました

新しい鞄を背負って希望と夢に満ち溢れた気持ちを感じ、多分、双子達もそんな思いを持っているのかな〜と思いながら、自分も今日から新一年生の気持ちで、希望にあふれた毎日を送りたいと思いました。
「52歳にしてリセット!いいかもしれませんね!」
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岡山から上京している母も入学式に参加して感動したようです。
昨晩は双子が寝た後に家族みんなで二人分の学用品や持ち物に名前付けをにぎやかにしていました。
私はというと昨日の入学式の様子をビデオカメラで見てみようと思いながら寝てしまいました。
今朝起きると館山の爺さんと婆さんとに買ってもらった真新しいランドセルに防犯ブザーが取り付けられ、帽子、手提げ袋とすべて新しい物が並んでいました。
それらを見ると勇妃の入学式、その前の姫気の入学式の思い出が蘇ってきました。
それから遥か遡り、専門学校、大学、高校、中学、小学校と自分の入学式の思い出も少しずつ思い出し頭に浮かんできました


新しい鞄を背負って希望と夢に満ち溢れた気持ちを感じ、多分、双子達もそんな思いを持っているのかな〜と思いながら、自分も今日から新一年生の気持ちで、希望にあふれた毎日を送りたいと思いました。
「52歳にしてリセット!いいかもしれませんね!」
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2015年04月10日
紋付袴
昨日、帰宅するとリビングに紋付がかかっていました。
上京している母が「岡山から送っておいたよ。」と言われました。
この紋付袴は母が数十年前に父と兄、そして私に作ってくれたものです。
母の念願であったこの紋付袴を着て、記念写真を撮ったのは多分20年ぐらい前だと記憶しています。
その特に袖を通してその後は一度も着たことはありません。
母の話によると、この紋付袴は京都の呉服屋で発注したもので、初めは白い生地でその生地を何度も染めて最後には深みのある黒色になるそうです。
何度も染め上げるので、実際に出来上げるまで1年〜2年ぐらいの期間がかるそうです。
母に値段を聞いてビックリ!3着で高級車が買えるぐらいでした

「なんで東京の狭い家に送るのだろう?特に着るときもないのに?」と思いましたが、一応「有難う」と言っておきました。
子供達も「パパ、これどうしたの?」と聞かれたので、「パパが死んだ時にこれを着るんだよ!」と言うと、「え〜!」と苦笑いをしていました

「本当は、皆の結婚にこれを着るんだよ!」と言うとまた苦笑いしていました。
「家には4人娘がいるから4回は着られるね。でも何時になることやら!」と言うと母は嬉しそうに笑っていました。
しかし、考えてみると姫気が中学生、結婚適齢期を考えてみると10数年でこの紋付袴を着ることになるかもしれません。順番からいえばその次が勇妃、そして双子と死ぬまでにはこの紋付を着られる機会が意外とあるかもしれません。
朝の慌ただしい時間にブログの投稿をしておりますので、誤字脱字が多いと思います。
恐縮ですが、お気づきの方は訂正のご連絡を頂けると幸いでございますm(_ _)m
また、投稿写真・投稿内容等について、問題がありましたらご連絡ください。直ちに削除致します。
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2015年02月17日
雪がちらつく朝
今朝、仕事場に行くとき、自転車で走っている時に白い物がちらちらと落ちてきました。
「ああっ!でも天気予報では曇り時々雨の予報では?」と思いながら仕事場に着きましたが、それほどの雪でもありません。そんなに寒くないのに雪か??
「それに比べ南国のセブ島は良かったな!」と先週行った旅行の事を思い出しました。
確かに気温は熱く、時々スコールのような雨もありますが、やはり暑いほうが、私は好きです。
そんなことを思いながらセブ島の旅行を思い出しました。
セブ空港の近くの地元のマーケット!現地の人が多く、活気と殺気を感じました
普通に丸焼き
道端のお店です。日本でいうコンビニのようなものでしょ〜かね!
これはセブCityにある最古のカトリックの礼拝堂です。熱心な信者たちがお祈りを捧げていました。
この中は風が通り涼しく、休憩をするには心地よい場所でした。
やっぱり南国といえば、ホテルのプライベートビーチですよね。しかし、海はサメがいるので防御用のネットで区切られていました。やっぱ!サメがいるんだ
そんな短い旅の間の雨上がりの朝に虹を見ることができました!何かいいことがありそうです(*゚▽゚*)
現実はまだまだ寒い冬、風邪を引かないように頑張りましょう。
朝の慌ただしい時間にブログの投稿をしておりますので、誤字脱字が多いと思います。
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「ああっ!でも天気予報では曇り時々雨の予報では?」と思いながら仕事場に着きましたが、それほどの雪でもありません。そんなに寒くないのに雪か??
「それに比べ南国のセブ島は良かったな!」と先週行った旅行の事を思い出しました。
確かに気温は熱く、時々スコールのような雨もありますが、やはり暑いほうが、私は好きです。
そんなことを思いながらセブ島の旅行を思い出しました。
セブ空港の近くの地元のマーケット!現地の人が多く、活気と殺気を感じました

普通に丸焼き

道端のお店です。日本でいうコンビニのようなものでしょ〜かね!
これはセブCityにある最古のカトリックの礼拝堂です。熱心な信者たちがお祈りを捧げていました。
この中は風が通り涼しく、休憩をするには心地よい場所でした。
やっぱり南国といえば、ホテルのプライベートビーチですよね。しかし、海はサメがいるので防御用のネットで区切られていました。やっぱ!サメがいるんだ

そんな短い旅の間の雨上がりの朝に虹を見ることができました!何かいいことがありそうです(*゚▽゚*)
現実はまだまだ寒い冬、風邪を引かないように頑張りましょう。
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2013年12月26日
父の形見
今年の冬は寒そうですね
「この寒さを凌ぐには綿入れだ!」と思い、妻に頼み押し入れに保管していた綿入れを出してきてもらいました。
この綿入れ?広袖(どてら)?は亡き父の形見です。といっても、父がよく着ていた大島紬の着物の生地で母が私に綿入れを作ってくれたものです。
今までにも何度か少しの間、着ていた冬がありましたが、今年は自宅にいるときには本格的に着ようと考えています。
先日、この綿入れを着たときに防腐剤の匂いと微かにではありますが父の香りがしてとっても懐かしい気分になりました
年末年始を迎えるとき、岡山に帰郷すると父がこの大島紬の着物を着て食卓に座り、日本酒を飲みながら「則光も飲むか?」と嬉しそうな笑顔が思い出されます。
父にはあったことはない姫気が、この父の形見の綿入れに袖をとおして「お空の爺爺はこんな匂いがしてたんだね!」とそんなことを言われた瞬間に「一目だけでも私の娘たちを父に見せたかったな
」という思いがこみ上げてきました。
「でもきっと父もこんな姿を空から見ているのだな〜」と思うと、なんとなく安心感が湧いてきた大島紬の綿入れでした
今年も私のつまらないブログにお付き合い頂いて、誠に有難う御座いました。
ブロクを書き始めてからここ数年、治療院に来る時間を30分早めて投稿しておりますが、なんせ仕事はじめの慌ただしい時間なので、誤字脱字が多いことを申し訳なく思っております。。
恐縮ではありますが、お気づきの方は訂正のご連絡を頂けると幸いですm(_ _)m
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「この寒さを凌ぐには綿入れだ!」と思い、妻に頼み押し入れに保管していた綿入れを出してきてもらいました。
この綿入れ?広袖(どてら)?は亡き父の形見です。といっても、父がよく着ていた大島紬の着物の生地で母が私に綿入れを作ってくれたものです。
今までにも何度か少しの間、着ていた冬がありましたが、今年は自宅にいるときには本格的に着ようと考えています。
先日、この綿入れを着たときに防腐剤の匂いと微かにではありますが父の香りがしてとっても懐かしい気分になりました

年末年始を迎えるとき、岡山に帰郷すると父がこの大島紬の着物を着て食卓に座り、日本酒を飲みながら「則光も飲むか?」と嬉しそうな笑顔が思い出されます。
父にはあったことはない姫気が、この父の形見の綿入れに袖をとおして「お空の爺爺はこんな匂いがしてたんだね!」とそんなことを言われた瞬間に「一目だけでも私の娘たちを父に見せたかったな

「でもきっと父もこんな姿を空から見ているのだな〜」と思うと、なんとなく安心感が湧いてきた大島紬の綿入れでした

今年も私のつまらないブログにお付き合い頂いて、誠に有難う御座いました。
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2013年10月19日
先生を偲ぶ会と偶然
先週、日本鍼灸学会で岡山に帰省した時に、子供の頃通っていた研心館という剣道の道場の同級生と会いました。
昨年、岡山の研心館道場で自分たちを鍛えてくれた館長先生がお亡くなりになられ、その先生の偲ぶ会をと、私の帰省に合わせて飲み会をしてくれました。
小学生の団体戦のメンバー5人のうち3人で集まり、懐かしい思い出や他のメンバーの現在の状況などの話が話題の中心となり楽しい時間を過ごすことができました
この飲み会に参加した他の二人は大阪の大学を卒業して、現在は岡山で就職していていました。
その中の一人は、5年前に偶然の出会いが東京あり、メール等で時々連絡をとりあっていました。
以前もブログに投稿しましたが、その東京での再開の偶然の話を再度致します。
ある男性が新中野の私の治療院に腰痛で治療に来られました。急性の腰痛で何度かの治療で治られました。丁度、年末でもあったので、その患者さんは「これでお正月にはお蔭様で帰郷できます」と言われたので、私は「どちらまでお帰りになりますか?」と質問すると、その患者さんは「岡山です。」それから話が進んで行くとなんと私の兄貴と同級生の同じ岡山市の京山という町内の先輩でした。
しかもその方の妹さんは私の小中学校の同級生だという事が分かりました。しかもその妹さんは誕生日が私の1日前の9月16日で、いつも出席番号が前だったので記憶によく残っていました。
そんな同級生の話になり、懐かしく思い、彼女が東京にいるという話を聞いたので、その患者さんであるお兄さんに名刺を渡し、是非、連絡を頂けるように頼みました。
するとその後、同級生の女子からメールがきました。
そして、数週間後小中学校の同級生で、新宿で会うことになりました。
その同級生の女性が東京大学医学部の教授の秘書をしていることもあり、東大系の同級生と私とは高校は違いますが、その彼女たちの高校時代の同級生が何人か来るというお誘いだったので、喜んでその飲み会に参加しました。
すると懐かしい顔ぶれがそろい、その中の3人はなんと東京大学卒業して、現在、東京大学法学部と東京大学生産技術研究所の教授になっていました。東大法学部の教授はなんと38歳の若さで教授になられたそうです。
実は子供のころその教授になられた友達によく宿題を見せてもらっていたり、方向が違うのに私のうちまで拉致したりして遊んでいた仲の良い友達でした
そして、私だけ高校が違うので知らないと思い、その中の法学部の教授が気を遣いその場で紹介してくれたのがN君でした。
そのN君を見るとびっくり!なんと今回の小学校の頃の岡山の剣道のチームメートで、今回偲ぶ会で合った中の一人でした
N君も小中まで剣道部に所属しており、大阪大学では同好会で剣道をしていたそうです。
N君の妹さんも岡山の研心館道場に通っていて、現在はイギリス人と結婚されイギリスで御夫婦で剣道をされていると聞き、懐かしく思いFBで検索するとこんな写真がありました。
(もし差支えがあれば写真は削除いたします)
話は偲ぶ会に戻りますが、そんな偶然の話からはじまり、小学校の茨城の水戸全国大会の話になり、はじめて東京で泊まった宿が丸ノ内線の東高円寺で、当時、国鉄の保養所が宿泊施設であり、その場所が現在では某保険会社に買い取られ、少し様相は変わりましたが、何となくその当時の面影があり、偶然その近くに住んでいた私は40数年前の記憶が蘇り、どうしてもその記憶を確かめたくて、近所に人に聞くとまさにその場所でした。
これも何かの縁だと思い、東高円寺のその建物の町内にお家を購入して住むことにしたという話をすると、その二人の剣道のチームメートもその東高円寺の宿をリアルに覚えていて、東京に住んだこともないのに「そうだよ!水戸の大会に行ったとき東京泊まったのは東高円寺にだったよ!」という話になりました。
「泊まった時に、床の間にあった大きなお坊さんの木の彫りの人形をいたずらで、寝ている誰かの布団に入れて楽しんだよ!」と私が言うとK君が「坊さんを入れられたのは、わしじゃ〜ねえの?」という話になり、一瞬にして、すべての思い出が蘇りました。
話は盛りあがり、その夜の実家への帰宅は夜中の2時半でした
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研心館道場
昨年、岡山の研心館道場で自分たちを鍛えてくれた館長先生がお亡くなりになられ、その先生の偲ぶ会をと、私の帰省に合わせて飲み会をしてくれました。
小学生の団体戦のメンバー5人のうち3人で集まり、懐かしい思い出や他のメンバーの現在の状況などの話が話題の中心となり楽しい時間を過ごすことができました

この飲み会に参加した他の二人は大阪の大学を卒業して、現在は岡山で就職していていました。
その中の一人は、5年前に偶然の出会いが東京あり、メール等で時々連絡をとりあっていました。
以前もブログに投稿しましたが、その東京での再開の偶然の話を再度致します。
ある男性が新中野の私の治療院に腰痛で治療に来られました。急性の腰痛で何度かの治療で治られました。丁度、年末でもあったので、その患者さんは「これでお正月にはお蔭様で帰郷できます」と言われたので、私は「どちらまでお帰りになりますか?」と質問すると、その患者さんは「岡山です。」それから話が進んで行くとなんと私の兄貴と同級生の同じ岡山市の京山という町内の先輩でした。
しかもその方の妹さんは私の小中学校の同級生だという事が分かりました。しかもその妹さんは誕生日が私の1日前の9月16日で、いつも出席番号が前だったので記憶によく残っていました。
そんな同級生の話になり、懐かしく思い、彼女が東京にいるという話を聞いたので、その患者さんであるお兄さんに名刺を渡し、是非、連絡を頂けるように頼みました。
するとその後、同級生の女子からメールがきました。
そして、数週間後小中学校の同級生で、新宿で会うことになりました。

その同級生の女性が東京大学医学部の教授の秘書をしていることもあり、東大系の同級生と私とは高校は違いますが、その彼女たちの高校時代の同級生が何人か来るというお誘いだったので、喜んでその飲み会に参加しました。
すると懐かしい顔ぶれがそろい、その中の3人はなんと東京大学卒業して、現在、東京大学法学部と東京大学生産技術研究所の教授になっていました。東大法学部の教授はなんと38歳の若さで教授になられたそうです。
実は子供のころその教授になられた友達によく宿題を見せてもらっていたり、方向が違うのに私のうちまで拉致したりして遊んでいた仲の良い友達でした

そして、私だけ高校が違うので知らないと思い、その中の法学部の教授が気を遣いその場で紹介してくれたのがN君でした。
そのN君を見るとびっくり!なんと今回の小学校の頃の岡山の剣道のチームメートで、今回偲ぶ会で合った中の一人でした

N君も小中まで剣道部に所属しており、大阪大学では同好会で剣道をしていたそうです。
N君の妹さんも岡山の研心館道場に通っていて、現在はイギリス人と結婚されイギリスで御夫婦で剣道をされていると聞き、懐かしく思いFBで検索するとこんな写真がありました。
(もし差支えがあれば写真は削除いたします)
話は偲ぶ会に戻りますが、そんな偶然の話からはじまり、小学校の茨城の水戸全国大会の話になり、はじめて東京で泊まった宿が丸ノ内線の東高円寺で、当時、国鉄の保養所が宿泊施設であり、その場所が現在では某保険会社に買い取られ、少し様相は変わりましたが、何となくその当時の面影があり、偶然その近くに住んでいた私は40数年前の記憶が蘇り、どうしてもその記憶を確かめたくて、近所に人に聞くとまさにその場所でした。
これも何かの縁だと思い、東高円寺のその建物の町内にお家を購入して住むことにしたという話をすると、その二人の剣道のチームメートもその東高円寺の宿をリアルに覚えていて、東京に住んだこともないのに「そうだよ!水戸の大会に行ったとき東京泊まったのは東高円寺にだったよ!」という話になりました。

話は盛りあがり、その夜の実家への帰宅は夜中の2時半でした

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研心館道場
2013年06月07日
びわの思い出
以前にもブログに投稿したことがありますが、小学生の頃の思い出です
梅雨のこの時期になると多くの実をつけたびわの木を見かけます。
そして、びわの実を見かけると食べたくなると同時に思い出が蘇ってきます。
私が通っていた岡山市の小学校で、毎年、学校の塀を越えた古い民家があり、その庭先には、毎年沢山の実を付けるびわの木があります。
子供心で「いつも食べたいな〜」という気持ちがあったのは私だけではありません
小学校の頃、つるんでいた悪ガキどもで、「今日の昼休みの終わりごろに皆で食べよう!」と約束をしました。
息をひそめながらお昼休み終了のチャイムが鳴るのを確認し、皆が教室に戻ることを再確認して、計画通り塀の向こうのびわの実にむさぼりつきました
そして、頃合いを見て教室に帰ろうとすると「こらー
お前らなにしょんじゃ〜
」と聞き憶えのあり声がしました。
「あっ
小学校でも最も怖い加藤先生だ!」と思うや否や先生に捕まり、教員室に連れていかれ、他の先生にびわの盗み食いのことを言われ、正座をさされました。
そんな小学校の苦い思い出があり、その話を娘たちに話したことがありました。
娘たちにはそんな話が楽しかったのか、いまだにその話をしてきます。
もっと面白いのは、その日の六時間目の音楽の時間に合唱で“野いちご”という曲を皆で歌う授業でした。
数時間まえ、びわ泥棒で捕まった悪ガキどもは、「野イチゴ〜赤い実だよ〜
山の中〜で見つけたよ〜
」という曲を編曲して「びわびわ〜黄色実だよ〜塀の向こうでみつけたよ〜
だあれも知らないのに加藤(怖い先生)が見てた〜
」と思い切り歌っていると今度は音楽の先生に怒られた思い出がありました。
この時期になると、当時の私の年齢と同じぐらいのうちの子供たちが、悪ガキどもが編曲した曲を可笑しそうに「びわびわ黄色意味だよ〜・・・
」歌うことがあり、私としては懐かしいようで、照れ臭いようで、何とも微妙な気持ちになってしまうこの時期のびわのお話でした
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梅雨のこの時期になると多くの実をつけたびわの木を見かけます。
そして、びわの実を見かけると食べたくなると同時に思い出が蘇ってきます。
私が通っていた岡山市の小学校で、毎年、学校の塀を越えた古い民家があり、その庭先には、毎年沢山の実を付けるびわの木があります。
子供心で「いつも食べたいな〜」という気持ちがあったのは私だけではありません

小学校の頃、つるんでいた悪ガキどもで、「今日の昼休みの終わりごろに皆で食べよう!」と約束をしました。
息をひそめながらお昼休み終了のチャイムが鳴るのを確認し、皆が教室に戻ることを再確認して、計画通り塀の向こうのびわの実にむさぼりつきました

そして、頃合いを見て教室に帰ろうとすると「こらー


「あっ

そんな小学校の苦い思い出があり、その話を娘たちに話したことがありました。
娘たちにはそんな話が楽しかったのか、いまだにその話をしてきます。
もっと面白いのは、その日の六時間目の音楽の時間に合唱で“野いちご”という曲を皆で歌う授業でした。
数時間まえ、びわ泥棒で捕まった悪ガキどもは、「野イチゴ〜赤い実だよ〜




この時期になると、当時の私の年齢と同じぐらいのうちの子供たちが、悪ガキどもが編曲した曲を可笑しそうに「びわびわ黄色意味だよ〜・・・


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2013年04月11日
移転もあとわずか!
現在の鍼灸整骨院の場所から移転するのもあとわずかとなりました。
今年で、この新中野で國安鍼灸整骨院を開業して20年が過ぎようとしています。振替ってみるといろんなことがありました。
そんな思い出を思い起こすと、何となくこの場所を離れたくないという気持ち、と気持ちを変えて新しいスタート、再出発の気持ちとが混ざり合い、 現在の場所から徒歩3分で、同じ町内ではありますが何となく複雑な心境です。
現在の治療院ともあと10日ではありますが、今まで以上に頑張りたいと思っています。
治療院の引っ越しのお知らせをしておきます。
4月21日(日)〜23日(火)までは引っ越しでお休みとさせて頂きます。
4月24日(水)から新しい場所での治療をスタートします。
治療時間も多少変更がございます。

機能訓練型デイサービスも5月ぐらいからのスタートとなります。
スタッフも増えて、今までよりもより一層充実した治療をしていきたいと思っていますので、これからも宜しくお願い致します。
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今年で、この新中野で國安鍼灸整骨院を開業して20年が過ぎようとしています。振替ってみるといろんなことがありました。
そんな思い出を思い起こすと、何となくこの場所を離れたくないという気持ち、と気持ちを変えて新しいスタート、再出発の気持ちとが混ざり合い、 現在の場所から徒歩3分で、同じ町内ではありますが何となく複雑な心境です。
現在の治療院ともあと10日ではありますが、今まで以上に頑張りたいと思っています。
治療院の引っ越しのお知らせをしておきます。
4月21日(日)〜23日(火)までは引っ越しでお休みとさせて頂きます。
4月24日(水)から新しい場所での治療をスタートします。
治療時間も多少変更がございます。

機能訓練型デイサービスも5月ぐらいからのスタートとなります。
スタッフも増えて、今までよりもより一層充実した治療をしていきたいと思っていますので、これからも宜しくお願い致します。
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2012年11月09日
懐かしい思い
最近はやりのFacebookで懐かしい人達からの連絡があります

先月は私の故郷の岡山の小、中学校、高校時代の友達からの承認が多く、「へ〜こんな感じになっていたんだ!仕事も頑張っているな〜」という思いを何度もしました。
また、連絡をもらっても・・・??誰だっけ


今週になって、大学時代の友人からのアクセスが集中してありました。
大学時代ともなると少しは記憶が鮮明で、それぞれの友人をリアルに思い出しことができました。
私の母校は京都にある明治鍼灸大学(現明治国際医療大学)で鍼灸大学としては世界初の大学で、当時はその大学目指して、日本中から学生が集まってきていました。
また、卒業後も同じ鍼灸業界で、時々学会等で顔を見る機会もある人たちも沢山います。
しかし、それ以外の人達とは会う機会がない人たちも多くいるのも事実です。
そんな友達と連絡が取れるのもFacebookのお蔭だと思いました。
ある面では、これだけの個人情報などの流失を考えると怖い部分もありますが、いい意味での情報交換ができればいいのかな!と思います。
皆、50年近く生きてきて、それぞれいろんなことがあったと思います。そして現在、幸せな人も苦労している人もそれぞれいると思いますが、こうやって今まで知り合った友人と連絡が取れ、お互いに元気でいることの確認ができればいいですよね

そんなことを考える自分を思うと、そんな年になったんだな〜と複雑な心境になってしまいました

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2012年08月22日
懐かしい思い出
3年ぐらい前から、鎌倉から約2時間かけて鍼灸治療に通ってこられる叔母ちゃまがいらっしゃいました。
この方はもともと岡山の倉敷が実家で、岡山市の父の治療院まで車で1時間ぐらいかけて、通院されたいたらしく、私が小さいころ治療院や家の外でよく見かえてという話をしてくれたり「京山の先生(父)は凄い先生だったよ!どんな病気でも治してくれましたよ」と自慢げに話してくれたりして、岡山弁のなごりを感じるしゃべり方で、私にはとても懐かしい思い出を感じさせてくれていました。
その方の娘さんの嫁ぎ先が鎌倉だったので、故郷の倉敷を離れ、鎌倉の娘さん家族と同居をはじめられたそうでした。
若い時から無理をして、女手一つで娘さん達を育て、無理がたたり肩や腰を痛めていたそうです。そして鎌倉付近の整形外科、鍼灸院や指圧などに何軒も行きましたが、なかなか効果がなく、痛みが楽にならなかったそうで、岡山で父の治療院の後を継いでいる兄に連絡をして、中野にある私の治療院を訪ねてくれましたということでした。
そんなお婆ちゃまから今年の3月の初めぐらいに急に電話が入り「先生、色々とお世話になりました。多分、体力的にも先生のところに行くことができないと思います。」とそんな話を一方的にして電話を切りました。
私は「何となく変な感じだな
」と思っていたところ、その後、1週間ぐらいしてそのお婆ちゃまの岡山の娘さんが上京され、鎌倉から治療に来られました。
その娘さんに話をお聞きすると「母は白血病を宣告され、余命が少ないので病院の先生に家族を呼ばれ、鎌倉に来ました。しかし、母は元気そうで、逆に私の体調を心配して中野の國安先生のところに行ってきなさいと言われて治療に来ました」という話でした。
それから3月の終わりぐらいにそのお婆ちゃまが治療に来られ「先生、元気になりました。二日後に再入院だから、その前に頑張って鎌倉から治療がてら先生の顔を見にました。」と言ってお見えになられました
それからは、いらっしゃいませんでしたが、このお盆休みに明けに1通の手紙が届いていました。その手紙は娘さんからの手紙で、母は5月末に亡くなりました。亡くなる日も自宅から病院に一人で行き、母らしく最期を迎えることができました。
先生には家族ともども大変お世話になりました。また母は最期まで「岡山の大先生と息子さんにはお世話になって幸せでした」と伝えて下さいとのお手紙でした。
そんな手紙を読みながら、鎌倉のお婆ちゃまの笑顔と懐かしい岡山弁を思い出すと大変懐かしく思います
鎌倉のお婆ちゃまのご冥福を心よりお祈りいたします。(合掌)
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岡山市の京山鍼灸処整骨院へ
この方はもともと岡山の倉敷が実家で、岡山市の父の治療院まで車で1時間ぐらいかけて、通院されたいたらしく、私が小さいころ治療院や家の外でよく見かえてという話をしてくれたり「京山の先生(父)は凄い先生だったよ!どんな病気でも治してくれましたよ」と自慢げに話してくれたりして、岡山弁のなごりを感じるしゃべり方で、私にはとても懐かしい思い出を感じさせてくれていました。
その方の娘さんの嫁ぎ先が鎌倉だったので、故郷の倉敷を離れ、鎌倉の娘さん家族と同居をはじめられたそうでした。
若い時から無理をして、女手一つで娘さん達を育て、無理がたたり肩や腰を痛めていたそうです。そして鎌倉付近の整形外科、鍼灸院や指圧などに何軒も行きましたが、なかなか効果がなく、痛みが楽にならなかったそうで、岡山で父の治療院の後を継いでいる兄に連絡をして、中野にある私の治療院を訪ねてくれましたということでした。
そんなお婆ちゃまから今年の3月の初めぐらいに急に電話が入り「先生、色々とお世話になりました。多分、体力的にも先生のところに行くことができないと思います。」とそんな話を一方的にして電話を切りました。
私は「何となく変な感じだな

その娘さんに話をお聞きすると「母は白血病を宣告され、余命が少ないので病院の先生に家族を呼ばれ、鎌倉に来ました。しかし、母は元気そうで、逆に私の体調を心配して中野の國安先生のところに行ってきなさいと言われて治療に来ました」という話でした。
それから3月の終わりぐらいにそのお婆ちゃまが治療に来られ「先生、元気になりました。二日後に再入院だから、その前に頑張って鎌倉から治療がてら先生の顔を見にました。」と言ってお見えになられました

それからは、いらっしゃいませんでしたが、このお盆休みに明けに1通の手紙が届いていました。その手紙は娘さんからの手紙で、母は5月末に亡くなりました。亡くなる日も自宅から病院に一人で行き、母らしく最期を迎えることができました。
先生には家族ともども大変お世話になりました。また母は最期まで「岡山の大先生と息子さんにはお世話になって幸せでした」と伝えて下さいとのお手紙でした。
そんな手紙を読みながら、鎌倉のお婆ちゃまの笑顔と懐かしい岡山弁を思い出すと大変懐かしく思います

鎌倉のお婆ちゃまのご冥福を心よりお祈りいたします。(合掌)
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2012年06月16日
びわの思い出
今年も千葉の富浦(館山の手前)から美味しいびわが届きました
館山のびわは有名です。
家内の叔父さんで漁師の元締めをしている方が、、毎年この時期に送ってきてくれます
びわは高級な食べ物で、このように虫に食べられないように一つ一つ丁寧に袋をかけて保護しています。
今年のびわも大粒で大変甘くて美味しかったです
毎年、このびわが届くと子供たちに私が小学校の頃のある思い出話を何度かしました。
その話とは多分、小学校の高学年の頃だと思います。
学校の塀の外にびわの木があり、この季節になると沢山のびわの実をつけます
いつも美味しそうだなと
思いながら気が付くとびわの実がなくなっています。そして悔しい思いをしながら何年か過ごしました
そして5年生の時に友達と計画して、びわの実があるうちに食べよう
と決断して、お昼休みでチャイムが鳴り、午後の授業が始まるときはすべて教室に入るのでその時がチャンス
辺りを見回しながらびわの木を引っ張り、ガン食い
口の周りにはびわの果汁だらけ、そしてお腹がいっぱいになったので友達と一緒に教室に戻ろうとしたときに・・・一番怖い加藤先生が岡山弁で「お前ら
なにしょんじゃ〜
(何しているんだ!)」と大きな声をかけられ・・・・その後は職員室に正座
職員室で正座しているとほかの先生が加藤先生に「どうしたのですが?この子達?」と聞かれると、加藤先生は「塀の向こうのびわを食べていたんだ
」と自分らが犯罪者のように言われましたが、ほかの先生たちは「うっふそうですか
」って感じでした。今思えば、他の先生にしてみればそんなこと大したことではないようなリアクションでした
きっと加藤先生もほかの先生もびわが大好物で、自分たちが毎年びわを食べられなかった悔しい気持ちがあったのでしょう
そして、しこたま(思いっきり)怒られて授業に戻ると音楽に時間でした。その音楽の時間の課題は童謡の鑑賞でびわの懐かしい歌でした。
音楽の授業中に怒られた三人でその童謡の替え歌をつくり、大受けでその後何度も三人で合唱していました

そんな思い出話と一緒にその歌を子供たちにその替え歌を教えると、かなり音程ははずれていますが、びわを見るたびに子供たちが楽しそうに歌っています
びわ
びわ〜黄色実だよ!塀の向こうで見つけたよ〜
誰も知らないのに加藤(怖い先生)が見てた
あまり有名な曲ではないので、原曲は忘れましたが、もし今後の人生でこの童話を聞くことがあったら超ウケるでしょうね
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館山のびわは有名です。
家内の叔父さんで漁師の元締めをしている方が、、毎年この時期に送ってきてくれます

びわは高級な食べ物で、このように虫に食べられないように一つ一つ丁寧に袋をかけて保護しています。
今年のびわも大粒で大変甘くて美味しかったです

毎年、このびわが届くと子供たちに私が小学校の頃のある思い出話を何度かしました。
その話とは多分、小学校の高学年の頃だと思います。
学校の塀の外にびわの木があり、この季節になると沢山のびわの実をつけます

いつも美味しそうだなと


そして5年生の時に友達と計画して、びわの実があるうちに食べよう


辺りを見回しながらびわの木を引っ張り、ガン食い

口の周りにはびわの果汁だらけ、そしてお腹がいっぱいになったので友達と一緒に教室に戻ろうとしたときに・・・一番怖い加藤先生が岡山弁で「お前ら



職員室で正座しているとほかの先生が加藤先生に「どうしたのですが?この子達?」と聞かれると、加藤先生は「塀の向こうのびわを食べていたんだ




そして、しこたま(思いっきり)怒られて授業に戻ると音楽に時間でした。その音楽の時間の課題は童謡の鑑賞でびわの懐かしい歌でした。
音楽の授業中に怒られた三人でその童謡の替え歌をつくり、大受けでその後何度も三人で合唱していました

そんな思い出話と一緒にその歌を子供たちにその替え歌を教えると、かなり音程ははずれていますが、びわを見るたびに子供たちが楽しそうに歌っています

びわ



あまり有名な曲ではないので、原曲は忘れましたが、もし今後の人生でこの童話を聞くことがあったら超ウケるでしょうね

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2012年06月04日
兄の上京
先日の土曜日に岡山から兄が上京しました
岡山の兄も京山鍼処整骨院を開業していて、祖父母のから父そして兄と岡山で三代目を継いでいます。
兄は鍼灸師会の講習や学会、そして日本陸上連盟のトレーナ講習会と精力的に参加しています。今回は某大学の児童心理学の学士の取得のためのスクーリングで上京したそうです。
今回は土曜日の夕方に東高円寺の自宅に来ることになっていたので、夕食を軽くしてからいつもの川中屋に子供たちと一緒に川中屋に行くことにしました
この日は二十数年前からの付き合いがある瑠璃子が、兄貴の上京に合わせて遊びに来ることになっていました。
兄と瑠璃子の再会も10年ぶりになるそうです。昔話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎて行きました
私も久しぶりに瑠璃子に会いましたが、いろんなことでストレスが溜まり疲れてやつれたように見受けられましたが、昔話をして少しストレスを解消したような表情になっていたので少し安心しました。
人生明日はどうなるか誰にも分かりません。会いたい人には会えるときに積極的に会っていたいものですね
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岡山市の京山鍼灸処整骨院へ

岡山の兄も京山鍼処整骨院を開業していて、祖父母のから父そして兄と岡山で三代目を継いでいます。
兄は鍼灸師会の講習や学会、そして日本陸上連盟のトレーナ講習会と精力的に参加しています。今回は某大学の児童心理学の学士の取得のためのスクーリングで上京したそうです。
今回は土曜日の夕方に東高円寺の自宅に来ることになっていたので、夕食を軽くしてからいつもの川中屋に子供たちと一緒に川中屋に行くことにしました

この日は二十数年前からの付き合いがある瑠璃子が、兄貴の上京に合わせて遊びに来ることになっていました。
兄と瑠璃子の再会も10年ぶりになるそうです。昔話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎて行きました

私も久しぶりに瑠璃子に会いましたが、いろんなことでストレスが溜まり疲れてやつれたように見受けられましたが、昔話をして少しストレスを解消したような表情になっていたので少し安心しました。


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